団塊の世代とよく言われますが、私は彼らより少し「遅れた世代」です。19歳で上京するまで、秋田の田舎で過ごしました。当時はほとんど娯楽といったものがなく、日々の楽しみといえばラジオを聴くことくらい。小さなトランジスタラジオの周波数を微調整して東京の放送局を捉え、なんとか中央のカルチャーを必死に吸収しようとしていました。中学時代、受験勉強をするふりをしながら深夜ラジオに耳を傾けるのが、孤独な日々の唯一の救いでした。
そんな暗がりの中から飛び込んできたのが、『生活の柄』という、今は亡き高田渡さんが歌う歌でした。当時はまだフォークソングが世の主流として定着していたわけではありません。ピーター・ポール&マリーが歌う『500マイル』や『風に吹かれて』、『レモン・トリート』など、アメリカのフォークソングをそのまま英語で歌うスタイルが一般的でした。学生運動も下火へと向かっていたあの頃、のちに限界集落と呼ばれるような静まり返った北国の田舎で、私は渡さんの歌声に激しい衝撃を受けました。他の放送局を求めて夜な夜なダイヤルを回し、渡さんの音楽に夢中になっていったのです。
何より心を揺さぶられたのは、その素晴らしい詩の世界でした。最初は意味が分からなかった歌も、調べるうちに山之口貘という詩人の存在を知りました。貘さんの紡ぐ詩に、アメリカのカントリーミュージックやマウンテンミュージックの旋律を乗せるという試み。それは当時の私にとって新鮮な驚きでした。
もちろん、こうした手法で表現する先駆者たちは他にもいました。高石ともやさん、小室等さん、中川五郎さん。例えば、小室等さんの『あげます』は谷川俊太郎さんの詩を歌にした名曲です。この歌も深く愛していますが、渡さんほどこの手法を縦横無尽に多用した人はいないかもしれません。著作権法などという言葉が今ほどやかましくなかった、どこかおおらかな時代背景もあったと言えます。渡さんは日本の詩人だけでなく、カーター・ファミリーやウディ・ガズリーといったアメリカのフォーク・マウンテンミュージックの曲にのせて、外国の詩人の作品も数多く歌い上げました。ラングストン・ヒューズの『おなじみの短い手紙』や、エミリー・ディキンソンの『ブルース』――私は渡さんの歌をきっかけにこれらの詩人たちに出会い、文学への扉を大きく開かれたのでした。
現代美術と「A+B=C」の方程式
前置きが長くなりましたが、渡さんや黎明期のフォークメンたちが用いたこの表現手法は、図式的に表すなら「A + B = C」という数式に置き換えることができます。
「A」という詩(言葉)、「B」という曲(メロディ)。一見すると別々の借り物であっても、二つを組み合わせることで「C」という全く新しい音楽世界が立ち現れる。私は常々、この手法を現代美術やデジタルイラストレーションの分野にも応用できるのではないかと考えています。
例えば、マルセル・デュシャンのレディメイドの系譜が挙げられますが、現代ではさらに一歩進め、「洗練された美術館というコンテキスト(A)」に、「地方のロードサイドにあるドン・キホーテの看板や100円ショップの便利グッズ(B)」をそのまま持ち込む(Chim↑Pom from Smappa!などのグループの手法)文脈に通じます。高尚な芸術空間というフレーム(メロディ)があるからこそ、一見すると俗っぽいモティーフ(詩)が批評的な美術品(C)へと鮮やかに反転するのです。
今回のデジタルイラストレーション制作では、この「A+B=C」の手法をかなり意識してキャンバスに向かうことにしました。前回の「ストゥーバと夕焼け──色彩の旅路と四角いブラシの格闘」に続き、過去に撮影した真夏の風景──3つの家が並んだ写真をあえてモノクロームに変換してPhotoshopで下処理したもの(A)をベースにし、アメリカ・メイン州に暮らす画家ヘンリー・アイザックの力強い風景画のタッチ(B)を掛け合わせて、自分なりの新しいスタイル(C)を模索してみたいと思います。

ヘンリー・アイザックのタッチに挑むGIMP 2.10のブラシ設定
アメリカの画家ヘンリー・アイザックが描く風景画は、角ばった独特の筆跡を残しながら、どこかマティスを彷彿とさせる鮮やかな色彩で世界的に知られています。彼の持つあの荒々しくも魅力的な油絵風の筆致を、今回も愛用するフリーの画像編集ソフトGIMP 2.10の「Block1」というブラシを使って再現できないか。そんな試行錯誤から制作をスタートしました。

A4横サイズ、解像度300 dpiのキャンバスを用意し、まずは塗りつぶしツールで画面全体の下地となる青緑色を置きます。その上から、薄いベージュ色の細い線を使って大まかなアタリを取っていきます。
今回も、下部に佇む家々と緑の木々、中央の大きく開けた青空、そして上部に垂れ下がった枝と雲というシンプルな構図です。画面の中央に何もない空間が広がるため、「中心のない絵画として果たして成り立つのだろうか」という不安もよぎりますが、あまり細部に囚われず、自由な気分で筆を動かすことを心がけました。しかも、元の写真は深緑一色のモノクローム情報だけなので、現実の色に縛られず、自分の内なる色彩感覚で画面を構築していくことができます。

「現実の色に縛られないで」と言いつつも、結局は空を青に、木々を緑にしてしまうあたりはご愛嬌ですが(笑)、大雑把に色彩を置いていきます。ヘンリー・アイザックの油彩表現を意識して「Block1」ブラシを選択し、角度を45度に設定。縦横比率は正方形に近い比率に整えました。中央の空があまり単調になりすぎないよう、ニュアンスの異なる2種類の青を使い分けて広がりを持たせています。

続いて、画面を引き締めるために家々の壁面を白っぽく塗り、青空とのコントラストを強めていきます。

次に、画面上部に広がる雲を描き込みます。ただ真っ白に表現するだけでは面白みに欠けるため、ここでもヘンリー・アイザックの空の描写を模倣してみることにしました。ただし、そのまま模倣するのでは全体のテイストに違和感を生んでしまいます。周囲のトーンを壊さないよう、薄い紫や水色をベースにしつつ、要所にほのかなピンクを混ぜ込むことで、色彩が単調に陥るのを防ぎながら丁寧に描き進めました。

家の白っぽい壁面がやや物足りなく感じられたため、もう少し明るい色調で調子を整え、画面全体にメリハリを加えていきます。

そして、近景として画面上部から覆い被さるように垂れ下がる枝葉を描き込みます。あらかじめ暗い緑を置いておいた上に、「Block1」ブラシのサイズを少し小さくして明るい葉を重ねていきます。もっとも、元となった写真のモノクロ画像からは光がどちらから差し込んでいるのか判別しにくく、光の当たり方はほぼ想像に頼る形になりました。正直なところ、枝葉が垂れ下がる立体感やリアリティをもっと明確に表現したかったという反省もあります。このあたりは自分の描写力の未熟さを痛感しますが、それもまた修行の過程です。

2作目の達成感とこれから
試行錯誤を重ねるうちに、画面がぐっと形になってきました。家の周りの木々にも調子を加え、明るい緑を重ねることで樹木のボリューム感を演出します。最後に、家の屋根の色を爽やかな水色に。さらにそれだけでは単調すぎるため、アクセントとして左側の家の屋根だけを鮮やかな赤へと変更しました。
現段階の自分の技量ではこれが精一杯であり、これ以上うまく描き上げる自信はありません。今回はここで完成とすることにします。前回の作品に続くシリーズ2作目となりますが、この段階での仕上がりとしてはまず満足しています。
目標として掲げた「Cという新しいスタイル」の境地にはまだ遠く及びませんが、前回よりも確実に一歩前進したという手応えは残りました。

いかがでしたでしょうか。
もしよろしければ、皆さんの感想やコメントをresiduals(残していただけると)次への大きな励みになります。それでは、また次回の記事でお会いしましょう。

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