摩天楼の孤独と洗練をなぞる──「黒い服の女性」を描く

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表現者として筆を握る(あるいはスタイラスを握る)とき、私たちは常に「昨日までの自分」という影と戦っています。

前々回、私は帽子をかぶった女性を描きました。あのアメリカのカントリーサイドを思わせる、素朴でどこか懐かしい陽だまりのような表現。それは一つの到達点ではありましたが、満足して立ち止まることは、表現の死を意味します。

「次は、全く逆の極北へ行こう」

そう心に決めたとき、私の脳裏に浮かんだのは、ニューヨーク・セントラルパークの片隅にある東屋(ガゼボ)でした。そこには、プロのカメラマンのレンズを見つめる、一人の女優がいます。都会の喧騒を背負い、洗練という名の鎧を纏った、アーバンなニュアンス。

今回は、その「空気」を描き出したいと考えました。

しかし、そのまま写実的に描くのでは面白くありません。元のロイヤリティフリーの写真は、下から見上げるようなダイナミックなアングルで、顔の陰影も彫刻のように深い、極めて立体的な一枚でした。

私はあえて、この立体感を「殺す」ことから始めました。

目指したのは、書籍のカバーデザインや、あるいは60年代のタイポグラフィが踊るポスターのような、グラフィカルな平面性。のたうち回るように新しいスタイルを模索し、たどり着いたのは「引き算の美学」でした。

描画ソフトは、前々回に引き続き「Inkscape 1.0」を使用します。しかし、今回はキャンバスの比率を変えました。A4サイズという既成概念を捨て、1280×1920ピクセルという、少し背の高い、スタイリッシュな縦長画面を選びました。

手法は一貫して「カリグラフィツール」一本。

ですが、ここでも新しい試みを取り入れています。女性の輪郭や顔の造作を、一度頭の中で分解し、再構築しました。あえてエッジを滑らかに整え、情報を削ぎ落とすことで、現実の女性を「デザインとしての記号」へと昇華させていく。そのためのデフォルメです。

滑らかな曲線を実現するために必要最低限のレイヤーを重ねますが、私が最も大切にしているのは、機械的な完璧さではありません。デジタルでありながら、手描きの「ブルブル」とした、震えるような線の軌跡です。その微細な揺らぎにこそ、描き手の魂が宿ると信じているからです。

作業の第一段階は、大きなストロークから始まります。

カリグラフィツールの設定を最大級に太くし、画面全体の構図を決定づけていきます。髪、顔、首、胴体、そして背景。パレットから色を選び、置いていく。

このとき、自分に課したルールは「色彩の贅肉を削る」ことでした。顔以外の部分は、明暗や彩度のコントラストを徹底的に抑えます。フラットな、どこまでも平坦な色面。奥行きを否定することで、観る者の視線を「一点」へと誘うための仕掛けです。

構図が固まり、全体の色調が定まってきたところで、いよいよ命を吹き込む作業——顔の描写に入ります。

前々回の作品では、強い光と影のコントラストを用いて、彫りの深い立体感を演出しました。しかし今回は、その手法は禁じ手です。

平面的なグラフィックとしての完成度を保ちながら、いかにして「女性の存在感」を浮き上がらせるか。

出した答えは、「明度や彩度の差を極限まで近づけた色使い」による陰影表現でした。眉、目、鼻、唇、そして首筋。ドラマチックな影をつけるのではなく、隣り合う色同士が静かに語り合うような、繊細な色分け。

特に、唇には鮮やかなピンクを配しました。モノトーンに近い画面の中で、その一点だけが灯火のように輝き、都会に生きる女性の華やかさと、内に秘めたプライドを象徴させました。

顔の表現が整ったところで、次に髪の毛の描写に移ります。

カリグラフィツールを中くらいの太さに設定し、流れるようなラインを引いていきます。ここでも、地の色と線の色の差を最小限に。すると、不思議な現象が起きました。背景の暗さと、髪の暗さが溶け合い、相対的に顔の明るい部分だけが、暗闇の中に浮かび上がるスポットライトのように強調されたのです。


さらに、背景にあるパラソルの柄や東屋の柱を、細かなタッチで描き足していきます。あえてディテールを少しだけ加えることで、画面に「現実の匂い」を微量に混ぜ込む。この「虚構と現実のバランス」こそが、絵にモダンな説得力を与えてくれます。

最後の仕上げに、瞳の周辺に筆を入れました。

まつげを整え、瞳に一筋の白い輝き(キャッチライト)を入れます。これだけで、モデルの視線に意思が宿ります。また、唇にもわずかに深いピンクを差し込み、抑制された中にも凛とした立体感を添えました。

完成した絵を眺めると、そこには前々回の「郷愁」とは全く異なる、「洗練(ソフィスティケート)」がありました。

ドロドロとした情念を吐露するのではなく、現代的なリアリズムと、整理されたグラフィカルな明快さ。それは、ニューヨークのグリニッジ・ビレッジの角を曲がったときに出会うような、知的でクールな女性の肖像です。

「いつもと同じでは、おもしろくない」

その一心が、私をこの新しい表現へと突き動かしました。メリハリを抑え、色面をフラットに保つという制約の中で、それでもなお溢れ出してしまう「個人の筆致」。今回の試みは、私にとって非常に満足のいく、新たな一歩となりました。

皆様の目には、このニューヨークの風を纏った女性はどのように映ったでしょうか。

デジタルというキャンバスの上で、68歳から始まった私の冒険は、まだまだ道半ばです。

この記事を読んで、何か感じたこと、あるいは技術的な質問などがありましたら、ぜひコメントを残していただければ幸いです。皆様との対話が、次回の作品への何よりの糧となります。

それでは、また次回の記事でお会いしましょう。

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